経歴
若新 雄純(わかしん ゆうじゅん、生年月日非公表[1][2])は、日本の実業家、株式会社NEWYOUTH代表取締役、慶應義塾大学特任准教授[3]などを兼任しているが、2024年3月までに大学教授は辞職する予定。愛称は「わかしん。」、
概要
福井県福井市生まれ、同県遠敷郡上中町(現:三方上中郡若狭町)出身。慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科修士課程修了[4]。
会社経営の他、大学教員(非常勤)を兼任。人間関係・コミュニケーション、キャリア・教育、新しい働き方や組織、地方創生・まちづくりなどに関する社会実験的な企画のプロデュースや研究を行う。2014年ごろからニュース・ワイドショーなど多数の番組でコメンテーターとしてかつて出演していた。一部の番組では愛称の「わかしん。」を用いている。
経歴
福井県の兼業農家の多い山間部の集落で育つ。両親は教員[5]。福井県立若狭高等学校理数科(現在は廃止)を卒業後に地元の福井でテレアポのアルバイトなどを経験した。
設立間もない県立宮城大学で学び、学園祭でステージ「ナルシスト狂宴」を企画して注目を集めた[6]。在学中に同大学の先輩と共同で就職困難者向けの就労サービスを行う株式会社LITALICO(設立時社名:イデアルキャリア)を創業し取締役COOに就任した。しかし、拡大する組織に適応できず1年7か月で取締役を退任した[7]。その後、慶應義塾大学大学院修士課程で産業・組織心理学やコミュニケーション論を学び、2009年に自由業として独立した。新宿・歌舞伎町でダイニング・バーを約3年間経営した[8]こともあり、現在は様々な企画・プロデュース活動を行っている(詳しくは後述の主な企画・活動)。
慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科で2014年4月から特任助教、2016年4月から特任講師、2017年4月から特任准教授を務め、2015年4月から福井大学で産学官連携本部客員准教授を務める。一身上の都合で大学教員は2024年3月末で退任になる[9]。
主な企画・活動
- 2012年に設立したニートが取締役を務める「NEET株式会社」[10]の他、はみ出した若者のため就職サービス「就活アウトロー採用」[11]、や「ナルシスト採用」、週休4日で月収15万円の「ゆるい就職」[12]、など、新しい働き方や組織づくりを模索・提案する実験的プロジェクトを多数企画・実施している。
- 2014年に福井県鯖江市でメンバーが全員女子高生のまちづくりチーム「鯖江市役所JK課」を市役所内に設ける公共事業を提案してプロデューサーに就任[13]、市が総務大臣賞を受賞した。その他、同じく鯖江市の体験移住事業「ゆるい移住」[14]プロジェクト、愛知県豊橋市の「豊橋市役所JK広報室」[15]、富山県南砺市の地元高校生のやりたいことに1,000万円を託すプロジェクト[16]など、全国各地で公共政策やまちづくり事業を手掛けている。
- 慶應義塾大学湘南藤沢キャンパスに付属するSFC研究所に設置された「ゆるいコミュニケーション・ラボ」のプロデューサーを務め[17]、大手コンサルティング企業アクセンチュアとの組織コミュニケーションに関する共同研究[18]や、山田孝之や木村多江などの俳優と表現力に関する研究[19]を行っている。
- 地元福井に関する取り組みも積極的に行っており、2021年自身の出身地である若狭町が誇る食材を用いた「究極のわかさ日の丸ごはん」プロジェクト[20]を企画プロデュースしたり、南越前町の廃校を活用してドローンスクール「ドローンキャンプ北陸の空」を経営しスクール表彰(JUIDA SCHOOL AWARDS 2021)にて全国最高賞の「GOLD」を受賞[21]している。
- 政治家のPRや政党の広報プロジェクトなども携わり、2013年に若者を集める目的で民主党公開大反省会を企画した。2018年には音喜多駿が党首を務めるあたらしい党の結党大会でモデレーターを務めた。
- 自身が代表取締役会長を務めていた当時のNEET株式会社で行っていた事業、「リアルねこあつめ」、「猫庭配信」、「シェアハウス」について会社が無責任な行動を取っていたとしてネット上で騒ぎが起きる(詳しくはNEET_(企業)#発生したトラブル)など、実験的な企画にトラブルも起きている。
人物
- 自身のツイートによれば、2022年に浄土真宗(真宗山元派)の本山證誠寺にて得度し、僧籍を取得して法名「釈諦純」を受けたとされる[22]。
- 2012年に数年前から通称として用いていた名「雄純」を戸籍上の正式な名に変更した[23]。
不祥事
https://ja.wikipedia.org/wiki/若新雄純
3股交際の詳細は?
複数の女性との交際トラブルが発覚したことで、慶應大学特任教授を辞職し、テレビコメンテーターの仕事からも身を引くと「週刊新潮」の取材に答えた若新雄純氏(通称・「わかしん。」、年齢非公表)。彼が昨年10月、6年間、交際関係にあったB子さん(40代)に送った残酷非道なLINEを公開する。(前後編の後編)
街中を2人で歩く時も、数歩離れていた
「こんな男がテレビに出るなんてとんでもない。取材を受けて彼の本性を伝えたい」
B子さんはそう言って、取材に応じた。若新氏との交際が始まったのは6年ほど前。ある会合で知り合い、恋仲になった。
「滅多に人を好きにならない性格なんですが、彼の自由奔放な生き方が愛おしく思えるようになった」
相手はテレビで活躍する多忙な有名人。誰にも打ち明けず、周囲を慮りながら交際してきたと語る。
「街中を2人で歩く時も、数歩離れていました。ツーショット写真も1枚も残っていません」
そう言って、彼女は1枚の写真を見せてくれた。場所は伊勢神宮。鳥居に向かって歩く若新氏の背中が写っている。彼との思い出の写真はこれ1枚だという。
「泊まりがけの旅行に連れて行ってもらったのも、この時を含めて5回くらい。最初は優しかったんですが、しまいに彼が“催した”時だけ呼ばれるドライな関係になってしまい……」
スマホでユーチューブを鑑賞しながら…
たとえば“その目的”のためだけに「2時間空いたけど来れる?」などと突然呼び出されたそうだ。
「彼の部屋や近くのラブホテルで求められ、終わったらバイバイという扱いです。扱いがぞんざいで、上半身は服を着たままの時もよくありました。一方で、私に対しては果てしなく長い“サービス”を求め続ける。40分以上させられたこともありました」
奉仕を強いる間、若新氏は悠然とスマホでユーチューブを鑑賞することもあったという。
「ピロートークの時もスマホは手放しません。私が何を聞いても生返事。たまに食事をした時もずっとスマホ。これが自分の“素”だと彼は語るのです」
都合の良い女だったと自省している。
「年上でもあった私は母性本能で彼を愛していた。私の前ではずっと素のままでいて欲しいと思っていました」
その思いも空しく、B子さんを若新氏は邪険に扱うようになった。年を重ねるごとに会う回数は減り、1か月に1回から“末期”は2カ月に1回という調子。
B子さんが提供してくれた夥しい量のLINEのやりとりには、彼女が〈前にも言ったけど、「物」だと思ってない? 私、人だし、感情あるし〉などと苛立ちをぶつける記述がある。
3人の女性を序列化
だが、その大半を若新氏は既読スルー。返信しなかったのにはワケがあった。
「もちろん、私も気づいていました。他の女の影があることを。けれど、私が彼にとって本命の彼女で一番の理解者だと信じていた」
そんなB子さんの自負は、昨年10月28日午前、粉々に砕け散った。唐突に届いた彼からのLINEに、起き抜けのB子さんは絶句した。以下はその文面だ。
〈ごめんなさい、言わないといけないことがあります。付き合いはじめてしばらくしたあとに、実は子どもをつくりたい人と出会い、その人と子どもをつくり、パートナーとしてお付き合いしています。それを隠して、ずっとグズグズとセフレ関係を続けていました。本当はちゃんと全部話すべきだったのに、ズルい人間です。ずっと騙してました。ごめんなさい〉
初めて知るパートナーと子どもの存在。しかも、もう1人の女性までいるという。さらにこう続く、
〈パートナーにも全部バレて、それから、さらにセフレとしてではなく彼女としてお付き合いしていた人にも秘密がバレて、たくさんの人を傷つけました。もう会うことはできません。最後まで僕から一方的に、本当にごめんなさい〉
「私は道具じゃない」。モノ扱いする若新氏にB子さんが送った激ギレLINE(他の写真を見る)
ブロックして逃亡
整理しよう。若新氏は、自身にとって最上位の女性が子どもを産ませた「パートナー」、中間が「彼女」、最下位が「セフレ」。この3人のうち末席のセフレがB子さん、あなただと本人にLINEで突きつけ、別れを告げたのだ。
10分後、B子さんは返信。
〈こういう内容をメールだけで済ませようとするなんで(原文ママ)酷すぎじゃないですか?〉
しかし、この返事が若新氏に届くことはなかった。すでに彼はB子さんからのメッセージを拒否すべくブロックしていたからである。
あれから3か月、B子さんの時間の針は止まったままだ。
「あのLINEに書かれていたことが真実だったか知りたい。そうならば、いつ彼が子供を作っていたのか知りたい。私の6年間を返して欲しい」
彼女は涙を流し続けた。
「自分でも残酷すぎると思います」
若新氏にこのLINEについて聞くと、自分が送ったものだと認めた。
「自分でも残酷すぎると思います。横に女性がいて、送らされたというのが実情ですが、僕が送ったことには違いありません。遅まきながら、これから彼女とは話し合うつもりです」
書かれていた内容も事実だった。若新氏には地元・福井県に、事実婚関係にある「パートナー」のD子さんがいて、その間に幼い子供もいた。にもかかわらず、B子さんばかりか、「彼女」であるC子さんと交際。しかも「内緒で結婚しよう」と“重婚計画”まで持ちかけていたーー。
2月1日発売の「週刊新潮」では、C子さんの知人が語る「重婚計画」の詳細、若新氏がC子さんに送った手紙、16歳当時、若新氏と半同棲生活を送る中で自殺未遂に追い込まれたA子さんの告発手記、若新氏が90分間に及んだインタビューで語った「引退の決意」などを5ページにわたって詳報する。
https://www.dailyshincho.jp/article/2024/01311204/?all=1